中央大学


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帝京大学 八王子校舎




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中央大学中央大学



中央大学の情報は
中央大学 多摩キャンパス

〒192-0393 東京都八王子市東中野742-1
電話: 042-674-2210

東京都,八王子市,学校法人,大学,多摩,,



中央大学
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中央大学
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多摩キャンパス
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中央大学の位置(東京都区部および多摩地域内)
中央大学
中央大学 (東京都区部および多摩地域)
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大学設置 1920年
創立 1885年
学校種別 私立
設置者 学校法人中央大学
本部所在地 東京都八王子市東中野742-1
北緯35度38分28.99秒 東経139度24分20.66秒座標: 北緯35度38分28.99秒 東経139度24分20.66秒
キャンパス 多摩(東京都八王子市)
後楽園(東京都文京区)
市ヶ谷(東京都新宿区)
市ヶ谷田町(東京都新宿区)
学部 法学部
経済学部
商学部
理工学部
文学部
総合政策学部
国際経営学部
国際情報学部
研究科 法学研究科
経済学研究科
商学研究科
理工学研究科
文学研究科
総合政策研究科
法務研究科(ロースクール)
戦略経営研究科(ビジネススクール)
ウェブサイト https://www.chuo-u.ac.jp/
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中央大学(ちゅうおう だいがく、英語: Chuo University)は、東京都八王子市東中野742-1に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。大学の略称は中央(ちゅうおう)、中大(ちゅうだい)。
目次

1 概観
1.1 大学全体
1.2 建学の精神(校訓・校是)
1.3 教育および研究
1.3.1 通信教育課程
2 沿革
2.1 略歴
2.2 年表
2.3 歴代校長・学長
3 基礎データ
3.1 所在地
3.2 象徴
4 教育および研究
4.1 組織
4.1.1 学部
4.1.2 大学院
4.1.2.1 専門職大学院
4.1.3 主な附属機関・施設
4.1.3.1 中央大学経理研究所
4.1.3.2 附属図書館
4.2 研究
4.2.1 21世紀COEプログラム
4.3 教育
5 学生生活
5.1 学友会
5.2 学園祭
5.3 スポーツ
6 大学関係者と組織
6.1 大学関係者組織
6.2 大学関係者一覧
7 施設
7.1 多摩キャンパス
7.2 後楽園キャンパス
7.3 市ヶ谷キャンパス
7.4 市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)
7.5 駿河台記念館
7.6 海外拠点
7.7 学生寮
8 かつての施設
8.1 旧:錦町校舎
8.2 旧:駿河台校舎
8.2.1 中央大学講堂(駿河台キャンパス3号館)
8.2.2 中央大学駿河台校舎跡之碑
8.3 旧グラウンド
9 対外関係
9.1 他大学との協定
9.2 海外協定校
10 社会との関わり
10.1 法曹養成
10.1.1 高等文官試験司法科
10.1.2 旧司法試験
10.1.3 新司法試験
10.2 職業会計人養成
10.3 白門
11 附属学校
11.1 附属校
11.2 協議中
12 脚注
12.1 注釈
12.2 出典
12.2.1 一次資料または記事主題の関係者による情報源
13 関連文献
14 Wiki関係他プロジェクトリンク
15 外部リンク

概観
大学全体
中央大学多摩キャンパス(白門プロムナードの様子)
中央大学多摩キャンパス(東門付近から3号館[文学部棟]を望む)
中央大学多摩キャンパス(多摩都市モノレール中央大学・明星大学駅付近から)

1885年(明治18年)7月に増島六一郎、菊池武夫、穂積陳重、藤田隆三郎ら18人の法律家により英吉利法律学校として設立された。当初は英国法に関する教育機関であったが、日本でも近代法が整備されると順次、国内法も教授するようになり、校名も東京法学院、東京法学院大学と変更した。1905年(明治38年)8月に経済学科の設置によって中央大学と改称、1920年(大正9年)に日本の私立大学では早稲田大学・慶應義塾大学についで、最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。

法曹界や官界、財界、政界、ジャーナリズム界に多くの卒業生を送り出している。大学付設の経理研究所は、学部の枠を越え広く会計学教育(経理研究所も参照)を提供している。

2015年11月に中長期事業計画「Chuo Vision 2025」を策定、法学部を第一候補とする都心移転計画や多摩キャンパスでの新学部開設計画、グローバル化推進などを発表した。この計画をもとに2019年4月には国際経営学部・国際情報学部を設置。2019年現在では、さらなる新学部開設の検討及び多摩キャンパスにおける新棟整備が進行中である。また、2023年から2024年にかけて、現在多摩キャンパスに設置している法学部と法学研究科を後楽園キャンパス及び新設する茗荷谷キャンパス(仮称)へ移転させる予定である。
建学の精神(校訓・校是)

英吉利法律学校設立時の建学の精神は實地應用ノ素ヲ養フであり、これをもとに建学の精神と学風をまとめて現在では個人の自由の尊重と実証的・合理主義の学風という表現にしている。また質実剛健を校是としている。また、2010年の創立125周年に際して行動する知性。-Knowledge into Action-というユニバーシティ・メッセージを定めている。
教育および研究

創立当初から実学教育重視の姿勢を取り、現在でもインターンシップなどの実践的教育に力を入れている。2003年度からは各学部の教育に加えて、学籍は各学部に置きながらも学部横断的に設置された課程に所属するファカルティリンケージプログラム (FLP) を導入し、学際分野でも実践的教育を行うようになった。現在、欧米・東アジアの大学を中心に約180校の派遣留学協定大学がある。
通信教育課程

戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の民間情報教育局(CIE)により、イギリスの University of London International Programmes(ロンドン大学通信教育課程)にならって、日本においても通信教育の制度を行うことが推奨され設置された。財団法人私立大学通信教育協会に加盟し、大学本部のある多摩キャンパスに事務局がある。通信教育部は、法学部の通信教育課程の実施に当たる組織であり、通信教育課程そのものは法学部に属する。大学通信教育の嚆矢と見なされているのは、英吉利法律学校が1885年(明治18年)の創設時に、通学できない人々のために講義録を郵送する校外生制度であるとされる。現在では、通年スクーリングや地方スクーリングなども行われている。なお、卒業までの平均学習年数は、1年生から入学した場合6年 - 8年、3年生からの編入学は4年 - 6年で、卒業率は7%程度(4年次以上の在籍者数のうち、卒業者数の占める割合)となっている。名古屋にある中京法律専門学校が提携校となっており、専門学校に在籍しながらダブルスクールで中央大学法学部通信教育課程も卒業をすることが可能な提携関係を行っている。
沿革
「英吉利法律学校」も参照
略歴

1885年(明治18年)に増島六一郎、菊池武夫、穂積陳重、藤田隆三郎ら当時の青年法律家有志18名によって英吉利法律学校として創立された。
年表

1885年(明治18年)
7月 - 英吉利法律学校設置認可。
9月 - 英吉利法律学校が東京府神田区神田錦町に開校し、初代校長増島六一郎、初代幹事渋谷慥爾が就任。
10月 - 講義録の刊行開始。
1886年(明治19年)
7月 - 第1回卒業式を挙行。
12月 - 私立法律学校特別監督条規により、英吉利法律学校など五大法律学校が帝国大学特別監督下に入る。
1888年(明治21年)
3月 - 五大法律学校連合大討論会に参加[1]。
10月 - 校友会を結成(翌年院友会と改称)。
1889年(明治22年)
1月 - 煉瓦造2階建て新校舎が完成。『法理精華』創刊(翌年発行禁止)。
10月 - 東京法学院と改称。
1891年(明治24年)4月 - 『法学新報』創刊。
1892年(明治25年)
1月 - 神田大火により校舎を全焼。
5月 - 第3回帝国議会に民法・商法施行延期法案上程。
12月 - 同議会で民法・商法施行延期法案可決。
1893年(明治26年)12月 - 司法省から判事検事登用試験の指定校となる。
1896年(明治29年)
8月 - 高等法学科開設。特待生および貸費生の制度を設ける。
9月 - 外国人留学生がはじめて入学する。
1897年(明治30年)8月 - 海外留学生制度を創設(1899年最初の留学生を派遣)。
1902年(明治35年)9月 - 実習科を開設。
1903年(明治36年)8月 - 東京法学院大学と改称。本科・予科・専門科・研究科を設置。学長制を新設し、菊池武夫が就任。
1905年(明治38年)
8月 - 中央大学と改称。経済学科を開設。中央高等予備校を設立。
11月 - 院友会を学員会と改称。
1909年(明治42年)9月 - 商業学科開設。
1910年(明治43年)2月 - 新聞研究科を開設[2]。
1911年(明治44年)9月 - 中央大学学友会を結成。
1913年(大正2年)8月 - 本科を大学部、専門科を専門部、法律学科を法科、経済学科を経済科、商業学科を商科と改称。
1917年(大正6年)5月 - 失火のため再び校舎・図書館を全焼、奥田文庫(ビルクマイヤー文庫)を失う。
1918年(大正7年)5月 - 予科の修業年限を2年に延長する。
1919年(大正8年)
5月 - 学校組織を社団法人から財団法人に改める。
12月 - 中央大学設立認可申請を行う。
1920年(大正9年)
3月 - 中央高等予備校廃止。
4月 - 中央大学、大学令により設立認可。法学部・経済学部・商学部、大学院、大学予科を設け、予科を第1部(法・経済)・第2部(商)に分ける。
1923年(大正12年)
9月 - 関東大震災により図書館と増築校舎を除き焼失。
11月 - 授業再開。
1924年(大正13年)
4月 - 専門部の昼間授業開始。
6月 - 駿河台南甲賀町の戸田氏共伯爵邸地を大学移転用地として購入。
1926年(大正15年)8月 - 駿河台校舎完成(錦町校舎は電機学校に売却)。
1929年(昭和4年)4月 - 夜間第二予科を開設。
1931年(昭和6年)4月 - 夜間学部開設。
1933年(昭和8年)6月 - 秋元春朝子爵邸地を購入。
1935年(昭和10年)8月 - 創立50周年記念講堂(3号館)完成(旧秋元邸跡地)。
1940年(昭和15年)7月 - 西園寺公望公爵邸地を購入。
1941年(昭和16年)9月 - 中央大学報国隊を結成。
1942年(昭和17年)9月 - 学友会を中央大学奉公団に改組。
1944年(昭和19年)4月 - 中央工業専門学校(機械科・航空機科)設立。
1946年(昭和21年)4月 - 女子学生3名が初めて入学。
1948年(昭和23年)
4月 - 通信教育部開設。
12月 - 経理研究所開設。
1949年(昭和24年)
4月 - 新制大学1部法・経済・商・工学部(土木工学・精密工学・電気工学・工業化学科)開設、2部法、経済学部開設。中央工業専門学校廃止。
6月 - 日本比較法研究所開設。
1950年(昭和25年)8月 - 現校歌「草のみどり」を制定。
1951年(昭和26年)
3月 - 旧制専門部廃止。工学部用地として文京区小石川町の8,043坪(現・後楽園キャンパス)を購入。
4月 - 文学部開設(1部文学科・史学科・2部文学科)。 同和鉱業ビルを購入(水道橋校舎)。新制大学院修士課程に法学研究科民事法・刑事法・政治学・英米法専攻、経済学研究科に経済学専攻・商学研究科に商学専攻を開設。
12月 - 工学部が水道橋校舎へ移転。
1953年(昭和28年)
3月 - 旧制学部最後・新制学部最初の卒業式を挙行。
4月 - 文学部、工学部教養課程、後楽園キャンパスで授業開始。
1954年(昭和29年)
7月 - 旧千代田区立駿河台図書館を購入。
通信教育部が後楽園キャンパスに移転。
1957年(昭和32年)11月 - 大学祭を白門祭と改称して開催。
1958年(昭和33年)8月 - 駿河台校舎本館(1号館)完成。
1960年(昭和35年)3月 - 由木村校地(現在の多摩校地)購入開始(67年まで)。
1962年(昭和37年)
3月 - 旧制中央大学廃止。
4月 - 工学部を理工学部に改組。
1963年(昭和38年)5月 - 創立80周年記念事業の一環として、理工学部校舎竣工。
1964年(昭和39年)
4月 - 駿河台4号館完成。
6月 - 経済研究所開設。
8月 - 駿河台5号館完成。
1966年(昭和41年)5月 - 評議員会で教養課程と体育施設の多摩校地への移転方針を決議[3]。
1967年(昭和42年)5月 - 駿河台中央図書館完成。
1969年(昭和44年) - 学費値上げ反対運動で自治会の要求が通る。全共闘運動で全国でも珍しく学生が勝利。
1973年(昭和48年)12月 - 評議員会で法・経・商・文学部の昼間部の多摩校地への移転方針を決議[4]。
1976年(昭和51年)8月 - 駿河台校舎の大正海上火災保険への売却決定。
1977年(昭和52年)11月 - 多摩キャンパス完成。
1978年(昭和53年)4月 - 文系4学部、多摩キャンパスで授業開始。
1979年(昭和54年)4月 - 社会科学研究所、企業研究所、人文科学研究所、保健体育研究所開設。
1980年(昭和55年)3月 - 駿河台校舎完全閉鎖、後楽園キャンパスに8号館竣工。
1985年(昭和60年)11月 - 創立100周年記念式典。
1988年(昭和63年)11月 - 駿河台記念館落成式典。
1992年(平成4年)7月 - 理工学研究所開設。
1993年(平成5年)4月 - 総合政策学部 (政策科学科、国際政策学科) 開設。
1996年(平成8年)4月 - 政策文化総合研究所開設。
1999年(平成11年)12月 - アジア経済研究所の旧庁舎を購入。翌年4月から市ヶ谷キャンパスとして大学院の授業を開始。
2000年(平成12年)4月 - 法学部・経済学部・商学部・理工学部2部募集停止。法学部・商学部・総合政策学部でフレックス制開設。
2001年(平成13年)4月 - 文学部2部募集停止。
2002年(平成14年)4月 - 文学部に中国言語文化学科を設置。国際会計研究科(会計大学院;アカウンティングスクール)開設。
2003年(平成15年)4月 - Faculty-Linkage Program(FLP)プログラム開設、創立125周年記念事業として後楽園キャンパスに新3号館竣工。
2004年(平成16年)4月 - 法務研究科(法科大学院;ロースクール)開設。
2005年(平成17年)4月 - 公共政策研究科(公共政策大学院)開設。総合政策学部フレックス制廃止。
2007年(平成19年)3月 - 法学部・経済学部・商学部・理工学部2部廃止。商学部フレックス制廃止。
2008年(平成20年)
3月 - 文学部2部廃止。
4月 - 理工学部に生命科学科を設置、戦略経営研究科戦略経営専攻(経営大学院;ビジネススクール)を開設、FLPに地域・公共マネジメントプログラムを開設。
2009年(平成21年)
4月 - 理工学部の土木工学科を都市環境学科に改称。法学部フレックス制廃止。
8月 - 学生援護会の旧本社を購入。翌年4月から市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)として大学院の授業を開始。
2010年(平成22年)4月 - 公共政策研究科、国際会計研究科を市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)に移設。戦略経営研究科にビジネス科学専攻(博士後期課程)を開設。
2015年(平成27年)11月 - 中長期事業計画 "Chuo Vision 2025" において、都心拠点の後楽園キャンパス集約と法学部を第一候補とする後楽園移転、多摩キャンパスでの新学部学科開設の計画を発表[PR 1]。
2016年(平成28年)4月 - 公共政策研究科の学生募集停止。
2017年(平成29年) - アカウンティングスクール(国際会計研究科)国際会計専攻の学生募集停止。
6月 - 公共政策研究科を廃止。
2018年(平成30年)6月 - アカウンティングスクール(国際会計研究科)国際会計専攻を廃止。
2019年(平成31年)
3月 - 文京区大塚一丁目の都有地(都営バス大塚支所跡地)の定期借地契約締結(2019年4月から40年間)。
4月 - 国際経営学部(多摩)・国際情報学部(市ヶ谷田町)を開設。

歴代校長・学長
学園創立50周年(1935年)

英吉利法律学校校長

代 氏名 就任時期
初代 増島六一郎 1885年9月 - 1889年10月

東京法学院院長

代 氏名 就任時期
初代 増島六一郎 1889年10月 - 1891年4月
第二代 菊池武夫 1891年4月 - 1903年8月

東京法学院大学学長

代 氏名 就任時期
初代 菊池武夫 1903年8月 - 1905年8月

1903年(明治36年)より「専門学校令」による大学。

学長

代 氏名 就任時期
初代 菊池武夫 1905年8月 - 1912年7月
第二代 奥田義人 1912年7月 - 1913年3月
第三代 岡村輝彦 1913年3月 - 1914年6月
第四代 奥田義人 1914年6月 - 1917年8月
第五代 岡野敬次郎 1917年8月 - 1923年9月
第六代 馬場愿治 1923年9月 - 1924年2月
第七代 岡野敬次郎 1924年3月 - 1925年12月
第八代 馬場愿治 1925年12月 - 1930年5月
第九代 原嘉道 1930年5月 - 1939年3月
第十代 林頼三郎 1939年3月 - 1947年3月
第十一代 加藤正治 1948年7月 - 1949年3月
第十二代 片山金章 1958年9月 - 1961年10月
第十三代 升本喜兵衛 1961年10月 - 1967年3月
第十四代 井上達雄 1967年4月 - 1968年4月
第十五代 戸田修三 1968年12月 - 1969年3月
第十六代 原田鋼 1969年5月 - 1969年8月
第十七代 嶋崎昌 1969年11月 - 1972年11月
第十八代 戸田修三 1972年11月 - 1981年11月
第十九代 川口弘 1981年11月 - 1984年11月
第二十代 川添利幸 1984年11月 - 1990年11月
第二十一代 髙木友之助 1990年11月 - 1993年11月
第二十二代 外間寛 1993年11月 - 1999年11月
第二十三代 鈴木康司 1999年11月 - 2002年11月
第二十四代 角田邦重 2002年11月 - 2005年11月
第二十五代 永井和之 2005年11月 - 2011年11月
第二十六代 福原紀彦 2011年11月 - 2014年11月
第二十七代 酒井正三郎 2014年11月 - 2018年5月
第二十八代 福原紀彦 2018年5月 -
基礎データ
所在地

多摩キャンパス(東京都八王子市東中野742-1)
後楽園キャンパス(東京都文京区春日1-13-27)
市ヶ谷キャンパス(東京都新宿区市谷本村町42-8)
市ヶ谷田町キャンパス(東京都新宿区市谷田町1-18)
駿河台記念館(東京都千代田区神田駿河台3-11-5)

象徴

校歌・応援歌・学生歌

中央大学校歌「草のみどり」 (作詞:石川道雄、作曲:坂本良隆)
現在歌われている校歌。歴代3番目のものである。
中央大学応援歌「あゝ中央の若き日に」 (歌詞選定:中央大学学友会、作曲:古関裕而)
代表的な応援歌。応援歌としては歴代2番目のものである。
「惜別の歌」 (作詞:島崎藤村、作曲:藤江英輔)
旧制中央大学予科生だった藤江が、1944年召集令状を受け取った学友のために島崎の詩にメロディーをつけて作曲した[5]。今も大学の卒業式で歌われ、小林旭のヒット曲としても知られる[5]。
「首途の歌」
「中大健児の歌」 (作詞:河尾俊雄、作曲:中央大学音楽研究会)
「若き血潮」
「伊豆逍遙歌」 (作詞作曲:村上道太郎)
「中大節」
近畿大学の近大節を元にしている。

スクールカラー

中央大学ブルー(藍色)とレッド(赤)の2色をスクールカラーとして定めている[PR 2]。

校章とシンボルマーク

白門を表す白色で大学と中央の文字をあしらった校章のほか、「C」のシンボルマークもよく知られている。

教育および研究
組織
学部

法学部
法律学科
法曹コース
公共法務コース
企業コース
国際企業関係法学科
政治学科
公共政策コース
地域創造コース
国際政治コース
メディア政治コース
通信教育課程(法律学科に相当)
経済学部
経済学科
経済総合クラスター
ヒューマンエコノミークラスター
経済情報システム学科
企業経済クラスター
経済情報クラスター
国際経済学科
貿易・国際金融クラスター
経済開発クラスター
公共・環境経済学科
公共クラスター
環境クラスター
商学部
経営学科
会計学科
商業・貿易学科
金融学科
文学部
人文社会学科
国文学専攻
英語文学文化専攻
ドイツ語文学文化専攻
フランス語文学文化専攻
中国言語文化専攻
日本史学専攻
東洋史学専攻
西洋史学専攻
哲学専攻
社会学専攻
社会情報学専攻
情報コミュニケーションコース
図書館情報学コース
教育学専攻
心理学専攻



理工学部
数学科
物理学科
都市環境学科
環境クリエーターコース
都市プランナーコース
精密機械工学科
電気電子情報通信工学科
応用化学科
経営システム工学科
情報工学科
生命科学科
人間総合理工学科
総合政策学部
政策科学科
国際政策文化学科
国際経営学部
国際経営学科
国際情報学部
国際情報学科
教職課程
学部を問わず1年後期次から履修できる
Faculty-linkage Program(FLP)
国際協力プログラム
環境プログラム
ジャーナリズムプログラム
スポーツ・健康科学プログラム
地域・公共マネジメントプログラム

大学院

特記のない専攻は博士前期課程・博士後期課程を開設している。

法学研究科
公法専攻
民事法専攻
刑事法専攻
国際企業関係法専攻
政治学専攻
経済学研究科
経済学専攻
前期課程の履修モデル(コース)
経済学コース
国際経済コース
商学研究科
商学専攻
前期課程のコース
研究コース
ビジネスコース
文学研究科
国文学専攻
英文学専攻
独文学専攻
仏文学専攻
中国言語文化専攻
日本史学専攻
東洋史学専攻
西洋史学専攻
哲学専攻
社会学専攻
社会情報学専攻
教育学専攻
心理学専攻
前期課程のコース
心理学コース
臨床心理学コース(臨床心理士第2種指定校大学院)



理工学研究科
数学専攻
物理学専攻
都市人間環境学専攻[注釈 1]
前期課程のコース
「都市・国土」コース
「環境」コース
「人間」コース
「国際水環境」コース
精密工学専攻
電気電子情報通信工学専攻[注釈 2]
応用化学専攻
経営システム工学専攻
情報工学専攻[注釈 2]
生命科学専攻
情報セキュリティ科学専攻 - 博士後期課程のみ[注釈 3]
電気・情報系専攻 - 博士後期課程のみ
電気・情報系の博士後期課程3専攻(電気電子情報通信工学専攻、情報工学専攻、情報セキュリティ科学専攻)を統合し、2017年4月開設。[PR 3]
副専攻
環境・生命副専攻
データ科学・アクチュアリー副専攻
ナノテクノロジー副専攻
電子社会・情報セキュリティ副専攻
感性ロボティクス副専攻
総合政策研究科
総合政策専攻
戦略経営研究科 - 博士後期課程のみ
ビジネス科学専攻(ビジネススクールのDBAプログラムとして開設)

専門職大学院

専門職大学院は以下のものが存在する。

ロースクール(法務研究科)
法務専攻
ビジネススクール(戦略経営研究科)中央大学ビジネススクール
戦略経営専攻(MBAプログラム)

主な附属機関・施設

研究所
日本比較法研究所
経理研究所
経済研究所
社会科学研究所
企業研究所
人文科学研究所
保健体育研究所
理工学研究所
政策文化総合研究所
研究開発機構
産学官連携・知的財産戦略本部 (CLIP)
図書館
多摩キャンパス
中央図書館
法学部学生図書室
経済学部学生図書室
商学部学生図書室
文学部専攻別図書室
総合政策学部図書室
大学院図書室
後楽園キャンパス
理工学部分館
ビジネススクール図書室
市ヶ谷キャンパス
ローライブラリー
市ヶ谷田町キャンパス
国際情報学部図書室
映像言語メディアラボ
情報環境整備センター
多摩ITセンター
都心ITセンター(後楽園、市ヶ谷)
キャリアセンター
国際センター
入学センター
体育施設運営センター
保健センター
駿河台記念館
寮(セミナーハウス)
野尻湖セミナーハウス
富浦臨海寮

中央大学経理研究所

中央大学経理研究所の記事を参照。
附属図書館

多摩キャンパスに中央図書館、後楽園キャンパスに中央図書館理工学部分館、市ヶ谷キャンパスに市ヶ谷キャンパス図書館が置かれている。特に多摩キャンパスの中央図書館には17万冊の開架書庫と1685席の閲覧席を設けた大規模なものである。なおこのほかに各学部(文学部は各専攻・理工学部は各学科)にも図書館が設置されている。また1979年(昭和54年)にはEC資料センター(現在はEU情報センター)、1994年(平成6年)には国連寄託図書館にそれぞれ指定されており、国際機関資料を一般に公開している。


研究
21世紀COEプログラム

21世紀COEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択された。

2002年(平成14年)

情報・電気・電子
電子社会の信頼性向上と情報セキュリティ

教育

現代的教育ニーズ取組支援プログラム
「中大・八王子方式」による地域活性化支援(2004年採択)
産学連携教育による女性研究者・技術者育成(2006年採択)
特色ある大学教育支援プログラム
アカデミックインターンシップの全学的展開(2003年採択)
実学理念に基づく高大接続教育の展開(2004年採択)
大学教育の国際化推進プログラム
中央大学長期海外留学支援プログラム(2006年採択)
法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム
法曹養成のための国際教育プログラムの形成(2004年採択)
知的財産に関する先端的映像教材の開発(2004年採択)
実務基礎教育の在り方に関する調査研究(2004年採択)
国際的に活躍できる会計専門家の育成(2004年採択)
会計大学院教育課程の国際水準への向上(2005年採択)
先導的ITスペシャリスト育成推進プログラム
先導的ITスペシャリスト育成プログラム(2006年採択)
専門職大学院等における高度専門職業人養成教育推進プログラム
グローバル化に対応した法曹養成プログラム(2008年採択)
グローバル人材育成推進事業
グローバル人材育成推進事業(タイプA・全学型)(2012年採択)

学生生活
学友会

中央大学では、公認部会(サークル)及び公認を目指す未公認部会(サークル)は、すべて中央大学学友会に所属している。学友会は、大学側と学生側の双方から選出された委員により構成される中央委員会によって運営されている。会長は学長が就任している。学友会には以下の組織・機関が存在する。また、公認を目指さず、学友会に所属しないサークルも多数存在する。たとえば、学生赤十字奉仕団 は日本赤十字社から公認されているものの学友会には所属していない。

なお、大学スポーツに関しては、原則として学友会の中でも更に体育連盟に所属する部会が、正式な代表権を有している。体育同好会連盟の部会や学友会に所属していないサークルは大学の公的な代表としてはみなされていないため、何らかの事情で体育連盟に加盟していないスポーツ競技の部会・サークルでは、対外試合を実施していないケースもある。ただし過去には、体育連盟に当該種目の部会が存在しなかったアメリカンフットボール同好会が、体育連盟の同意を得て、未公認団体(正確には設立申請団体 - その後体育連盟に昇格)のまま、関東のリーグ戦に参加していた例もある。また、空手道のように流派が分かれている競技では、例外も存在する。なお、体育連盟所属部会には公欠制度があり、学長名による「課外活動にともなう授業配慮願(公欠届)」も存在するが、これは、公式試合等で授業を欠席し、通常単位取得に必要とされる出席日数に満たなかった場合に、一定の補完措置(補講受講やレポート提出等)をとった上で単位取得を認める配慮を求めるという趣旨のものであり、単に出席面で優遇するという性格のものではない。

中央委員会
部会長会
連絡協議会
連盟会議
公認申請等に関する審議会
インターネット運営委員会
総務部
監査部
学術連盟(主に仮執行体制以前から学友会に所属する学術系部会が所属。炎の塔所属の学生研究室連盟(学研連)とは別物である)
文化連盟(本来は仮執行体制以前から学友会に所属する文化系部会が所属する連盟であるが、後述の学芸連盟成立後も新しく公認される部会も多く、その棲み分けは曖昧になりつつある。)
学芸連盟(仮執行体制解消時に設立された連盟。以降新しく公認団体となる部会も多く、文化連盟との差はなくなりつつある。)
体育連盟(代表権を有するスポーツ部会)
体育同好会連盟(体育連盟に当該種目の既存部会が存在するため、代表権を有さないスポーツ部会。本来は仮執行体制解消時に存在した部会のうち体育連盟への移行基準を満たしていなかった部会による連盟である)
理工連盟(後楽園キャンパスに本部を置く部会)
学友連盟(主に二部学生を会員とする部会。部会の新設公認は原則として行われない。)
未公認部会

(参考)1988年(昭和63年)1月30日に開催された「対学友会会長(=学長)大衆会見」の共同宣言によって解消されることとなった「仮執行体制」下では、未公認部会の連盟である「白門連盟(白連)」と、「設立申請団体(設申)」が存在した。「仮執行体制」下では、部会公認に関するすべての手続きが凍結されていたため、「仮執行体制」開始時点での未公認部会が公認されないままで固定化していた。またこれ以降に新たに発足した部会も「設立申請書」が学友会事務室の窓口預かりのままとなっていた。前者が「白門連盟」を構成し、後者が「設立申請団体」)と呼ばれた。「仮執行体制」終焉に伴い、「白門連盟」所属部会及び「設立申請団体」の中で、既存公認連盟の公認基準を満たし、且つ当該部会が公認化を希望する部会については、既存公認連盟に移行し、それ以外の部会で、公認基準を満たし(「部会活動報告書」を基準年数以上提出し続けている部会又は、「部会活動報告書」は提出されていないものの、「白門連盟」執行部が基準年数以上の活動継続を認める証明書を発行した部会。)、且つ当該部会が公認化を希望する部会については、新設の学芸連盟又は体育同好会連盟に移行した。
学園祭

学園祭は「白門祭」と呼ばれ、以下の3種類が存在し、多摩キャンパスにおいては白門祭実行委員会が、後楽園キャンパスにおいては理工白門祭実行委員会が、それぞれ運営する。
春の新入生歓迎白門祭の様子

新入生歓迎白門祭(5月中旬、多摩キャンパス)
新入生歓迎文化祭・スポーツ大会(4月初旬、後楽園キャンパス)
白門祭(11月初旬、多摩キャンパス・後楽園キャンパス共通)

スポーツ
箱根駅伝での応援風景

陸上競技部(男子部)は箱根駅伝で最多出場を誇るとともに、最多連続出場(86回連続)、歴代最多である14回(6連覇含む)の優勝をしている。
硬式野球部(男子部)は東都大学野球連盟の設立時より加盟。東都リーグ24回、大学選手権3回、神宮大会1回の優勝をしている。OBにはプロ野球選手も多い。早慶対抗戦に端を発する現在の東京六大学野球連盟から、かつて中央大学も加盟の誘いを受けていた。しかし当時の中央大学は様々な理由(「法科の中央が野球にうつつをぬかしていられない」「ライバル東大が加入するなら加盟しない(この説には矛盾がある)」など様々な説がある)から断りを入れ、加盟しなかった[要出典]。尚、東都大学野球連盟の設立経緯に関しては該当記事を参照。
サッカー部(男子部)は、関東大学1部リーグ優勝5回、全日本大学サッカー選手権優勝8回、天皇杯優勝1回を誇る。また、関連チームの中大クラブにも天皇杯優勝1回がある。
ラグビー部(男子部)は関東大学ラグビーリーグ戦グループで1回の優勝経験がある。
バスケットボール部(男子部)は全日本学生バスケットボール選手権大会で3度優勝を果たしている。
ボート部も強豪で毎年グリーンレガッタ等に参戦している。グリーンレガッタとは、中央大学・法政大学・日本体育大学・東京経済大学の4大学の定期戦で早慶レガッタ同様、現代の伝統の対抗戦で、毎年みどりの日(現昭和の日)に戸田漕艇場で行われている。2012年全日本ボート選手権大会団体戦種目エイト-準優勝。
バレーボール部(男子部)は、全国タイトルを全国大学最多の計23回(全日本総合(6人制)6回・NHK杯1回・インカレ15回・東西インカレ1回)獲得している。また、東日本インカレも5回制している。

大学関係者と組織
大学関係者組織

中央大学のOB会・親睦会に「○○白門会」または「白門○○会」という名前が付いた組織がある。OB組織は一般的に「白門会」と呼ばれるが、白門会はあくまでも任意の団体である。中央大学の正式な同窓会は中央大学学員会である[PR 4]。学員会費を支払っている学員(会員)が100名以上在籍する白門会が、学員会の正式な支部として認定される資格を持つ。支部には、地域支部、年次支部、職域等支部の3種類がある。白門会という名称は付いていないが、法曹の親睦団体である中央大学法曹会や中央大学出身の財界人による南甲倶楽部も白門会である。なお、同窓会館は、かつて中央大学が所在した神田駿河台(旧大学会館跡)に駿河台記念館の名で置かれている。
大学関係者一覧

中央大学の人物一覧

施設
多摩キャンパス
多摩キャンパス正門(奥にクレセントホール[9号館]と芝生広場を望む)

使用学部:法学部・経済学部・商学部・文学部・総合政策学部・国際経営学部
使用研究科:法学研究科・経済学研究科・商学研究科・文学研究科・総合政策研究科

中央大学の本部があるメインキャンパスである。
詳細は「中央大学多摩キャンパス」を参照
後楽園キャンパス
後楽園キャンパス

使用学部:理工学部
使用研究科:理工学研究科・戦略経営研究科(ビジネススクール)

理工学部が設置されているキャンパスで中央大学発祥の地である神田に近い。所在地は、東京都文京区春日である。キャンパス内には中央大学高等学校、中央大学ビジネススクールなども併設されており、3号館などの一部の施設は共用となっている。2010年(平成22年)3月までは文系大学院教室も設置されていたが、市ヶ谷田町キャンパスの開校に伴い移転した。敷地面積は27,141m2である。東京ドームや文京区役所に非常に近いほか、都心にありながら、礫川公園に隣接し、後楽園に近いこともあり、キャンパス周囲は緑が多い。

施設
1号館:学生生活課や保健センター、研究室や実験室がある。
2号館:研究室、実験室がある。2011年(平成23年)に中央大学創立125周年事業の一環として、旧7号館(生協・サークル棟)および屋外体育施設のあった位置に新築された。
3号館:もとは低層の建物であったが、2003年(平成15年)に中央大学創立125周年事業の一環として新たに建設された高層ビル。内部に実験施設、学生食堂、中央大学高等学校用の施設など様々な設備を備えた後楽園キャンパスのシンボル的存在である。また、中大の都心拠点としても機能している。
4号館:学生サークル棟。
5号館:アリーナ、学生食堂などがある。
6号館:理工学部事務室、図書館などがある。
8号館:中央大学高等学校校舎として使用されている。
多目的コート
実験棟
正門(白門):中央大学の異称である白門を模した物である。記念撮影スポットとなっている。
アクセス
東京メトロ丸ノ内線・南北線 後楽園駅から徒歩5分
都営大江戸線 春日駅から徒歩5分
都営三田線 春日駅から徒歩7分
JR中央・総武線 水道橋駅から徒歩15分

市ヶ谷キャンパス
市ヶ谷キャンパス(2012年4月)

使用学部:なし
使用研究科:法務研究科(ロースクール)

大学院教育の充実と都心拠点整備のため2000年(平成12年)4月に設置され、法務研究科が使用するキャンパス。所在地は東京都新宿区市谷本村町42-8、防衛省の隣に位置する。近傍の市谷田町1-18に市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)がある。2010年(平成22年)3月までは国際会計研究科も設置されていたが、市ヶ谷田町キャンパスの開校に伴い移転した。

1999年(平成11年)7月のキャンパス購入から法務研究科の設置までの期間は、法職講座市ヶ谷研究室が設置され、司法試験受験者の講座や自習室が置かれていたが、法務研究科の際に駿河台記念館へ移転した。なお法務研究科1期生の修了に合わせて2006年(平成18年)4月から2010年(平成22年)3月まで市ヶ谷駅前に法職講座市ヶ谷別館(千代田区五番町4-7)を設置し、修了から司法試験合格までの学習拠点となる法務研修施設が使用してきたが、市ヶ谷田町キャンパスの開校に伴い移転した。

当初は施設の狭隘さを指摘されたが、2006年(平成18年)4月に市ヶ谷別館を、2009年(平成21年)2月に法科大学院研究室別棟(新宿区四谷本塩町19)を設置することで順次対応がなされてきた。これらについては2010年(平成22年)4月の市ヶ谷田町キャンパス開校によって抜本的な改善が図られた。

食堂や生協施設のほか、学員の支援により設置され、室内後方には見学用座席も設けられている「模擬法廷」や、主に法科大学院学生用の書籍を中心に収蔵している図書館がある。
正面入り口には中央大学創立者の増島六一郎、菊池武夫の胸像が設置されている。
アクセス
都営地下鉄新宿線/曙橋駅(出口A3)下車 左手へ徒歩3分
東京メトロ丸ノ内線/四谷三丁目駅(出口4)下車 徒歩8分
都営地下鉄大江戸線/牛込柳町駅(原町一丁目出口)下車 徒歩13分
東京メトロ有楽町線・南北線/市ケ谷駅下車 徒歩13分
JR総武線/市ヶ谷駅下車 徒歩13分
JR中央線・総武線/四ツ谷駅(四ツ谷口)下車 徒歩15分

市ヶ谷田町キャンパス(中央大学ミドルブリッジ)
中央大学ミドルブリッジ(2012年12月)

使用学部:国際情報学部
使用研究科:なし

大学院教育の充実と都心拠点整備のために旧学生援護会本社ビルを2009年(平成21年)8月に取得し、2010年(平成22年)4月に開校した。 所在地は市ヶ谷駅6番出口前であり市ヶ谷キャンパスよりも利便性が高い。 ミドルブリッジとは中大創設者達が学んだイギリスの法曹院の一つミドル・テンプルへの橋渡しと学生・教職員・学員(中大卒業生)相互の架け橋の2つの意味が込められた命名である。

開設時に市ヶ谷キャンパスから国際会計研究科、後楽園キャンパスから公共政策研究科、文系大学院教室が移転した。また2011年(平成23年)4月には公共政策研究科の多摩キャンパス開講科目も市ヶ谷田町キャンパスで行われることとなり、完全移転が実現した。 その後、2017年に公共政策研究科が、2018年に国際会計研究科が廃止され、行われる授業は文系大学院の授業の一部のみとなっていたが、2019年4月に国際情報学部が設置された。

アクセス
東京メトロ有楽町線・南北線/市ケ谷駅(6番出口)下車 徒歩1分
JR総武線・都営地下鉄新宿線/市ケ谷駅(A1出口)下車 徒歩5分

駿河台記念館
駿河台記念館

使用学部:なし
使用研究科:なし

かつて使用されていた駿河台キャンパスを記念して、旧大学会館跡地に建設された施設である。 1985年(昭和60年)の創立100周年記念事業の一環として造られた。所在地は東京都千代田区神田駿河台3-11-5。 館内には施設として、レストラン・喫茶店・キャリアセンター支部などが入る。

主に卒業生組織である学員会が使用するほか、大学入試や経理研究所の社会人講座などで利用されている。 また、学員以外の一般団体へも貸し出されており、研修会・講演会などに利用されている。

2019年9月、「Chuo Vision 2025」の中間報告のなかで、駿河台記念館を2023年度までに建て替えたうえで、専門職大学院法務研究科(法科大学院)および戦略経営研究科を収容する計画を公表した。なお、現在法科大学院が使用している市ヶ谷キャンパスの処遇については触れられていない。

付近には明治大学や日本大学のキャンパスがある。

アクセス
JR中央・総武線/御茶ノ水駅下車 徒歩3分
東京メトロ丸ノ内線/御茶ノ水駅下車 徒歩6分
東京メトロ千代田線/新御茶ノ水駅下車 (B1出口)徒歩3分・(B3b出口)
都営地下鉄新宿線/小川町駅下車 (B5出口)徒歩5分

詳細は 中央大学駿河台記念館ホームページ を参照
海外拠点

特に明記がないものについては、中央大学ウェブサイトを参照[6]。

中央大学パシフィック・オフィス (アメリカ合衆国・ハワイ)
2013年12月にハワイ大学マノア校に設立。海外拠点第一号となる。
中央大学・タマサート大学コラボレーションセンター 「中央大学タイ・オフィス」(タイ・バンコク市)
2014年12月にタマサート大学法学部に設立。海外拠点第二号となる。
中央大学上海オフィス(中国・上海)
2016年10月に上海理工大学日本文化交流センターに設立。海外拠点第三号となる。

学生寮

一般学生および留学生を対象とする寮として2011年に国際寮を、2012年に国際交流寮を設置している。

国際寮はJR豊田駅から北へ徒歩約8分に設置されている。UR都市機構の旧多摩平団地一棟(64戸)を借り上げ、1戸(3DK)に3人(留学生、交換留学生、日本人学生)で入居している。

国際交流寮は京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩8分に設置されている。国際寮とは異なり、個室タイプで一室に1名の学生が入居している。

対抗運動会を秋に開催し、両寮間の交流が図られている。

国際寮
国際交流寮

学友会体育連盟に所属部員のために下記の寮が設置されている。

一部専用の寮・合宿所を設置している部もあるが、スポーツ推薦入試制度を導入している部のほとんどの部員が南平寮で生活をしている。体育連盟として共同寮を設置されることも、これほどの規模で運営されることも極めて稀である。

南平寮
東豊田寮
堀之内硬式野球部合宿所
戸田ボート部合宿所
葉山ヨット部合宿所

かつての施設
旧:錦町校舎
Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:錦町校舎の画像提供をお願いします。(2020年3月)

1885年(明治18年)7月の英吉利法律学校創設時より使用されたキャンパス。東京府神田区神田錦町2丁目2番地に所在していた。

そのころの東京法学院は神田錦町にあって、街路に面して建てられた、ルネサンス式の赤煉瓦の二階建てで、アイオニア式の柱頭をもった附柱の並んだ、そのころの学校としてはすばらしく宏壮でもあり、装飾的でもある立派な建物だった。
??長谷川如是閑、『ある心の自叙伝』 講談社学術文庫、163ページ

神田錦町二丁目は神田警察署の隣、アノ辺には珍しき赤煉瓦の建物がならむでゐる。安倉庫然たりなど、皮肉を申す奴があるも、羨ましさの悪口に違ひなし。一寸見ると警察署の煉瓦塀迄此の建物の中かと見へて、壮麗(?)よく田舎漢の魂を抜き得べし。これなむ。法学界一方の重鎮中央大学の校舎である。
??河岡潮風、『東都遊学学校評判記』 博文館、137-138ページ

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で大打撃を受け、応急復旧は施したものの、震災後の大学再建計画のためには校地移転が不可欠と判断されたため、1926年(大正15年)8月に駿河台キャンパスを完成させ、移転した。同地は電機学校(現:東京電機大学)に売却され、同大学が北千住に移転する2012年3月まで神田キャンパスとなっていた。2012年4月以降は住友商事による再開発が行われる。
旧:駿河台校舎
Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:1960~70年代の駿河台校舎の画像提供をお願いします。(2020年3月)
駿河台校舎(1930年頃)

1926年8月から1980年(昭和55年)3月まで使用されたキャンパス。東京都心の神田駿河台地区(現:三井住友海上駿河台ビル一円)に所在していた。

1号館 - 1958年8月完成、地下1階・地上7階建て(のちに10階建てに増築、大学院および研究室、総長室をはじめとする教職員関係施設、学生ホール、学食など)
2号館 - 1926年8月完成、地下1階・地上3階建て(のちに4階建てに増築、法・経・商3学部校舎)
3号館 - 1935年8月完成、地下1階・地上4階建て(創立50周年記念講堂)
4号館 - 1964年4月完成、地下1階・地上6階建て(法・経・商3学部校舎)
5号館 - 1964年8月完成、地下2階・地上10階建て(文学部校舎)
大学院分室図書館 - 1930年11月完成、地下1階・地上3階建て
駿河台中央図書館 - 1967年5月完成、地下2階・地上10階建て
中央大学会館 - 1956年8月完成、地下1階・地上5階建て(現在の駿河台記念館の場所)
錦町校舎 - 旧千代田区役所庁舎を1955年に購入、学生会館および中央大学高等学校として使用した(1964年12月売却)。
聖橋校舎 - 1965年4月購入(経理研究所、中央大学高等学校、サークル施設として使用)
小川町校舎 - 1966年6月完成(学生会館として使用)

※各施設の名称は1964年4月以降のもの[PR 5]。

高度経済成長期に入学者が増加して校舎が手狭となり、当時都心部にあった大学の郊外への移転が推進されていたこともあり、1978年(昭和53年)4月に多摩キャンパスに移転した。ただし新入生と在学生のうち2年生、3年生が多摩に移り、4年生は引き続き駿河台キャンパスでの就学が継続されたため、1980年(昭和55年)まで授業が行われた。現在、駿河台キャンパスの一部敷地(旧:大学会館跡)には駿河台記念館が建てられている。
中央大学講堂(駿河台キャンパス3号館)
自民党結成大会(中大講堂)

建築家阿部美樹志の設計により、1935年(昭和10年)8月完成。建設費39万5000円、収容人員5324人[PR 6]。自由民主党の結党大会は1955年(昭和30年)11月15日に中央大学講堂で実施された。日本社会党も党大会を同講堂で実施することが多かった。同講堂は多摩への移転時に取り壊されており、現存しない。
中央大学駿河台校舎跡之碑

中央大学創立100周年を記念して1985年(昭和60年)7月8日に駿河台校舎南門跡地に設置された。ブロンズ仕上げの碑面には村上茂利による碑文が刻まれている。
旧グラウンド

中野運動場 - 1911年に東京府豊多摩郡中野町の2375坪余の土地を借地。しかし、運動会以外で使用されることはほとんどなく、陸上競技部、庭球部、蹴球部は学外施設を借用して練習に励んだという[PR 7]。大正末期には運動場周辺の宅地化が進み、土地の返還期も迫ったため、新たな運動場を取得することになった[PR 8]。
所沢運動場 - 1926年に埼玉県入間郡吾妻村の9912坪の土地を購入[PR 9]。
吉祥寺運動場 - 1935年に練馬区石神井立野町の約5424坪の土地を購入し、硬式野球場とした[PR 10]。現在は練馬区立立野公園となっている。
練馬運動場 - 1937年に板橋区練馬南町4丁目の約1万5000坪の土地を購入[PR 11]。400mトラックと蹴球場1面、テニスコート3面、クラブハウスを有する本格的な総合グラウンドだった[7]。現在は練馬区体育協会が管理する練馬総合運動場となっている。

対外関係
他大学との協定

東京12大学広報連絡協議会(神田五大学広報会議)
学術・文化・産業ネットワーク多摩
首都大学院コンソーシアム
大学情報サミット
2005年(平成17年)に発足させた情報機関協定。他の加盟校は、五十音順に慶應義塾大学、法政大学、明治大学、立教大学、早稲田大学。2010年(平成22年)に一度脱退したが、2014年(平成26年)に復帰している。
全国私立大学FD連携フォーラム
2008年(平成20年)に発足させたFDに関する日本で初の私立大学連携協定。発足当初からの連携校は関西大学、関西学院大学、慶應義塾大学、立命館大学、同志社大学、法政大学、明治大学、立教大学、早稲田大学。
スーパー連携大学院
2007年(平成19年)に発足させた共同大学院設置を目的とする協定。2008年度に文部科学省の「戦略的大学連携支援事業(教育研究高度化型)」に採択された。他の加盟校は電気通信大学、北見工業大学、秋田県立大学、長岡技術科学大学、富山大学、信州大学、三重大学、大分大学、熊本大学。
個別に単位互換協定、図書館相互利用協定などを結んでいる大学
日本医科大学
首都大学東京
東京外国語大学
恵泉女学園大学

海外協定校

中国
雲南大学
雲南師範大学
昆明理工大学
吉林大学
南開大学
北京大学
中国政法大学
中国人民大学
清華大学
中国社会科学院法学研究所
重慶大学
大連大学
北京理工大学
中国社会科学院研究生院
復旦大学
浙江大学
蘇州大学
陝西師範大学
北京科技大学
中央民族大学
上海理工大学
大連外国語大学
河海大学
中山大学
四川大学
上海交通大学
対外経済貿易大学
天津理工大学
香港大学
香港城市大学
大連理工大学
北京師範大学
厦門大学
同済大学
華東政法大学
武漢大学
首都師範大学
浙江工業大学

台湾
台湾國立中正大学犯罪防治研究所
国立政治大学
東呉大学
国立中山大学
国立中央大学
南台科技大学
国立台湾大学
国立台北大学
国立曁南国際大学人文学院
アメリカ合衆国
カールトン大学
チュレーン大学ロースクール
ベネディクティン大学
メアリヴィル大学
アメリカン大学
イリノイ州立大学
アリゾナ大学
レークフォレスト大学
ミシシッピ州立大学
ボストン大学
インディアナ大学-パデュー大学インディアナポリス
セント・トーマス大学
カリフォルニア州立大学モントレーベイ校
東テネシー州立大学
パデュー大学ウエスト・ラファイエット校
カリフォルニア大学バークレー校
サンディエゴ州立大学
カリフォルニア大学デイヴィス校
ハワイ大学マノア校
ワシントン・センター
テネシー大学ノックスヴィル校
ハワイ大学ヒロ校
ミシシッピ大学
ノースカロライナ大学アシュビル校
パデュー大学カルメット校
ドイツ
ヴュルツブルク大学(バイエルン・ユリウス・マクシミリアン・ヴュルツブルク大学)
テュービンゲン大学(テュービンゲン・エーベルハルト・カールス大学)
ミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学ミュンスター)
ベルリン自由大学
オスナブリュック大学
ベルリン・フンボルト大学
フランクフルト金融経営大学
ミュンヘン大学(ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン)法学部

社会との関わり
多摩キャンパス内に設置されている正義・法の女神テミス像
法曹養成
高等文官試験司法科

「法科の中央」と呼ばれ[8]、行政科・司法科・外交科に分かれていた高等文官試験において、行政科では東京大学、京都大学に次ぐ3番目の合格者数、司法科では東京大学に次ぐ2番目の合格者数であり、当時から特に司法分野での実績でより優れた結果を残していた。
旧司法試験

旧司法試験での出身大学別司法試験合格者数は、1951年(昭和26年)から1970年(昭和45年)まで20年連続で1位であった。しかし、学生運動の激化や多摩移転の影響もあって低迷期を迎え、1970年代から1980年代にかけて東京大学と1位を争うようになり「中東戦争」とまで言われた[9]。その後は、3位 - 5位まで順位を下げていたものの、トップ5の常連としての地位を確立していた。
新司法試験

第1回目(2006年度)の司法試験では、中央大学法科大学院出身者(受験者数239名、最終合格者数131名)が合格者数1位であった[PR 12]。その後は、2012年度及び2015年度に1位の座を獲得している[10]。
職業会計人養成

公認会計士試験合格者数は、試験開始年から1970年頃まで1位であった。しかし1970年代に慶應義塾大学、80年代前半に早稲田大学に抜かれ低迷期が訪れることとなる。1980年代後半から1990年代には東京大学や一橋大学にも抜かれ、5位 - 7位まで順位を下げていたものの、経理研究所の強化(専任講師の増員、WEB授業の導入)や試験制度変更により、2000年代以降は3位前後をキープしている。

また、税理士に関しては合格者数1位を維持している。[要出典]
白門
多摩キャンパス 100周年記念ステージ 後楽園キャンパス 正門(白門)
多摩キャンパス 100周年記念ステージ

後楽園キャンパス 正門(白門)

『タイムトラベル中大125:1885→2010』 コラム(21) 「白門の由来」も参照

「白門(はくもん)」という異称が大学の文献に初めて登場するのは、1928年(昭和3年)に学生サークルである政治学会と辞達学会(弁論部)が共同主催で募集した、学生歌の一節であるという。後に中大職員となる同歌の作者は、朝日新聞の取材に対して、「(正確には記憶していないが)大学の徽章が白かった(から白門では)」と回顧している[11]。

「白門」の考案者は実はその職員で、東大の赤門、早大の稲門、日大の桜門などからヒントを得たとも語っている[PR 13]。

ただし、実際に「白門」が多用されるようになったのは戦後からで、戦前世代にはそれほど浸透していなかったとの証言もある。

老教授は(OB会を)錦会、中堅クラスは南甲クラブといって“白門”はピッタリこないといいますね。いずれも古い時代の校舎のあった町の名です。
??中央大学職員、1961年(昭和36年)3月1日付朝日新聞夕刊4面

実際の建造物としての白門は、1959年(昭和34年)7月に当時の駿河台校舎に幅1.2m、高さ3.6mの白御影つくりの正門が建設されている(現存せず)。また、白門の一部(かつての駿河台校舎の門柱・玄関)をイメージしたものは、多摩キャンパス内に移設され「100周年記念ステージ」として保存されている。また、後楽園キャンパス正門の色も白であり、「白門」と呼ばれている。徽章や門が白い理由は通信教育課程で教授等の話[要出典]によると「何ものにも染まらないという意思の表れ」であるという[注釈 4]。
附属学校

学校法人中央大学では、中央大学の附属学校として4校の高等学校と2校の中学校を設置している。

初めて中等教育に進出したのは1928年(昭和3年)の中央大学商業学校設置からである。この中央大学商業学校を前身として1948年(昭和23年)に中央大学高等学校が設置された。また1952年(昭和27年)には学校法人杉並学園と合併して杉並高等学校を中央大学杉並高等学校に改称するとともに杉並中学校は廃止した。この中央大学杉並高等学校は1963年(昭和38年)に小金井市に移転したのを期に中央大学附属高等学校に改称した。なおこの移転と同時に、校名と校地・校舎を引き継いで改めて中央大学杉並高等学校が設置された。2010年(平成22年)にははじめての附属中学校として中央大学附属高等学校に中学校を併設している。更に2010年(平成22年)には学校法人横浜山手女子学園と合併して横浜山手女子中学・高等学校を中央大学横浜山手中学・高等学校に改称した。
附属校

中央大学附属中学校・高等学校
中央大学附属横浜中学校・高等学校
中央大学杉並高等学校
中央大学高等学校

協議中

文京区立第三中学校
文京区教育委員会より2009年度から中央大学高等学校と隣接する区立第三中学校での中高一貫教育(教員派遣と、一定数の生徒の中大高校への受け入れ等)の提案を受け、協議を行っている。どのような関係になるのかはまだ決定していない。

脚注
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注釈

^ 2017年度より、都市環境学専攻の名称を変更した。[PR 3]
^ a b 博士後期課程は2017年入学生より募集停止し、電気・情報系専攻に統合。[PR 3]
^ 2017年入学生より募集停止し、電気・情報系専攻に統合。[PR 3]
^ 「白」は中立公正である証

出典

^ 同討論会は1890年7月まで13回開催された(専修大学出版局 『専修大学百年史』 上巻、1981年、607-621頁)。
^ 同科は7人の卒業生を出しただけで間もなく閉鎖された(『タイムトラベル中大125:1885→2010』 56-57頁)。
^ 『中央大学百年史』 通史編下巻、508-509頁
^ この時点で駿河台校舎は夜間部校舎として残す方針だった(『中央大学百年史』 通史編下巻、522-525頁)。
^ a b 朝日新聞(2015年10月27日朝刊)38ページ
^ “中央大学海外拠点”. 2018年7月13日閲覧。
^ 『東京朝日新聞』 1939年3月3日
^ 「東大首位に返り咲く 司法試験の合格者中大抜き20年ぶり」朝日新聞 1971年10月2日付朝刊、第23面
^ 「東大首位に返り咲く 司法試験の合格者中大抜き20年ぶり」朝日新聞 1971年10月2日付朝刊、第23面
^ “大学別の司法試験合格者数データ”. 2019年3月28日閲覧。
^ 1961年(昭和36年)3月1日付朝日新聞夕刊4面

一次資料または記事主題の関係者による情報源

^ “中央大学中長期事業計画「Chuo Vision 2025」を策定”. 中央大学. 2018年10月14日閲覧。
^ “中央大学の近況 創刊号 (PDF)”. 中央大学 (2009年2月23日). 2014年6月22日閲覧。
^ a b c d “2017年4月、大学院理工学研究科の専攻を改編します”. 2018年12月26日閲覧。
^ 中央大学学員会 学員会の目的・沿革
^ 『中央大学百年史』 通史編下巻、320-321頁
^ 『中央大学百年史』 通史編下巻、72-76頁
^ 『中央大学百年史』 通史編上巻、324-325頁
^ 『中央大学百年史』 通史編下巻、24頁
^ 『中央大学百年史』 通史編下巻、24頁
^ 『中央大学百年史』 通史編下巻、76-77頁
^ 『中央大学百年史』 通史編下巻、96頁
^ 平成18年新司法試験の結果 法務省
^ 『タイムトラベル中大125:1885→2010』 292ページ

関連文献

天野徳也 『中央大学三十年史』 法学新報社、1915年
中央大学 『中央大学五十年史』 1935年
中央大学百年史編集委員会専門委員会 『中央大学百年史』 学校法人中央大学、全四巻、2001-2005年



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関連項目
典拠管理

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